やらなくてはいけないことが、ようやく終わった。

というより、「やらされていた」ことが、やっとこさ終わった。

もちろん無理やりのこと、強制させられていたことである。

具体的なことはにも言えないが。

ともかく終わった。しばらくは、僕は自由だ。

これからはブログをいくらでも書くことができるし、

自分の勉強のために作ってたツイッターbotの作成も再開できる。

最後にブログを書いたのが二ヶ月前のことだというのは驚きだ。

嫌なことづくめな時間というのは普通長いものだが、

そのことに真剣に悩み考え事をして過ごすと、

やはり短く感じられるものだなと思う。

 

さて、本題に入る。

まずは、当ブログの管理人である僕自身の近況について語りたい。

一応このブログは件の強制的作業から僕が解放されて一週間ほど経って書いたものだ。

自由になった一週間ほどの間、僕はまず友人の家で大乱闘スマッシュブラザーズシリーズの新作を三日間ぐらい死ぬほどプレイしていた。

僕はスマブラを真剣にやり込んでいるクチの人間ではないが、最新作のスマブラについて、記事にしてしまおうと思えばできたかもと、今思い返せば思う。

この記事のネタに困ったら書いてやろうか。

僕自身は決してプレイヤーとして優秀ではないのだけど、キャラクターの使用感の違いなど、前作からの微妙な変化などには敏感なのだ。

それに、嫌なことばかり続いたので、現実逃避してアニメばかり見ていることも、ブログを書いていない期間にあった。

忙しい割にはそこそこ多く見たので、作品の感想を一つ一つあげてみてもいいかもしれない。

まあ具体的に言えば「キルラキル」と「けいおん!」の一期、そして「ネギま!」のシャフトが製作した二期の方。あ、あと「ゆるキャン」△も見た。「さよなら絶望先生」を見たのもこの時期だったろうか。

「そこそこ」どころじゃないな、どう見ても。

現実逃避しまくりだな、これは (^_^;)

こんなことしてるからいつまでもさっさと済むものも済まないんだな。

そうしていればこのブログももっと早く再開できていたのだが。

そんなこんなで、書きたいことが山ほどある。

いろいろなことを勉強しなくてはいけない。

このブログの執筆に戻れない二ヶ月の間、そのことを痛感した。

痛感したからこそ、勉強したことをまとめるブログであるここに、

戻ろうと思えた。

さっきからいろいろ言ってるアニメについても、だ。

現実逃避してアニメを見まくってた僕だが、アニメを見ていて気づいたことがある。

アニメを、見れば見るほど、面白い、と感じれるようになっていることだ。

元々から、アニメは好きで、評判がいいのはとりあえず、といった具合に、そこそこ見ていた僕ではある。

しかし、アニメの世界に逃げ込んで鑑賞に没頭しているうちに、面白い、と感じるポイントや、面白いと感じる深さが、二、三年前に見ていた時と比べてまるで変わってる、自分自身の鑑賞眼の変化に気づいた。

没頭し始めた時とその最後の方でもかなり変化していることに気づいた。

また別の機会に書きたいのでここでは短く収めることにするが、

一言で表すと、鑑賞の視野がストーリーや心理描写、世界観などの「抽象面」だけでなく、作画や演出、動きなど「表象面」にもだいぶ及ぶようになった、といったところか。

ここで言いたいのはアニメの視聴も鑑賞眼の涵養という意味では立派な勉強になるということだ。

僕はこのブログにアニメの感想や批判もまとめ、自分自身のなかの感性をアウトプットすることで、アニメの鑑賞というものを勉強しようと思う。

自分の感じたことをまとめるのは、自分自身を客観的にさせるし、客観的になれることで、作品にも、自分自身の作品への鑑賞にも批判的になれるからだ。そして批判を行えれば、自分自身の内面世界にある地平線が、より広がるのだと思う。

「知る」も、「観じる」も、僕らが生きていくうえでの能力(チカラ)になる。

それを確かるブログを書きたい。